deKurusikoの新作や、お気に入りの本や言葉などを紹介していきます。

2011年2月6日日曜日

ドーソン先生

2008.2 記


ちょうど10年前、主人の仕事でアメリカに1年間住んだことがあります。主人は、大学で研究に励み、子ども達は、現地の学校で必死に勉強しました。

私は、家族が少しでも元気が出るように楽しい家づくりに専念しました。(暇な昼の時間には、ソープドラマと呼ばれるアメリカ版メロドラマにはまっちゃったりしてたのですがね。)3ヶ月程経った頃には、主人も子どもたちもアメリカの生活にずいぶん慣れて、それぞれいい結果を出し始めたのです。

私は、そんな家族を見るのが大好きでした。でも、主人は私だけが家の中で悶々と暮らしているのではないかと心配だったらしく、市民大学で英語の勉強をするように勧めました。             
と言うわけで、私も学生生活を送ることになったのです。クラスの中は、ロシア人、中国人をはじめ十数カ国の人でいっぱいでした。

スーツに蝶ネクタイ、どういうわけかアタッシュケースを持って通って来るようないかにも教養高い旧ソ連のお偉方の存在は威圧的でもありました。長年アメリカに住んで苦労を重ねてきたという中国の方もたくさんおられました。教室の前方では中国人とロシア人の席をめぐる争いは毎日のように繰り返されていました。

そんな争いをよそに、後ろの席で、ジャージーで通って来る人のよさそうなロシア人のおじさんたち(後で聞いた話、彼らも旧ソ連の高官だったらしいのですが)と私は楽しく勉強することができました。

担任の先生はドーソン先生という初老の素敵な方でした。授業はとても魅力的で、2時間が短く感じられました。久しぶりに英語の勉強をすることが楽しくて仕方がありませんでした。
ある授業でのことです。短編小説を読む時間でした。

海に生きる荒々しくたくましい漁師が、クリスマスの日に子ども達を連れて狩りにでかけたのですが、狩りに夢中になっている間に岩場につないで置いた小舟が流されてしまい、母船に戻ることができなくなってしまったのです。凍るように冷たい海の水が、刻々と親子の足下に迫ってきました。クリスマスの日に漁に出るものなどいるはずもないことはわかっていながら漁師は救援の合図を猟銃で打ち続けました。子ども達を励ましながら・・・。その弾も無くなり、海水はとうとう漁師の体を濡らし始めました。もうどうしようもない運命を受け入れながらも、子ども達を肩に担ぎ冷たい海の中に仁王立ち(英語にそんな表現はないよなー)になりながら最後まで子ども達を守ろうとする漁師でした。

朗読する先生の声が途切れ途切れになりました。その日は、先生の解説は何もありませんでした。何もいりませんでした。「自分にも同じくらいの男の子がいるんだよね。」と言う一言で先生の気持ちを察することができました。授業が終わった時、クラスの人はみんな真っ赤な目をしていました。

私はこれまで本を読んで涙したことがあっただろうかと思い返してみました。それも母語ではない英語の本を読んで目を泣きはらすほど感激したことが自分でも驚きでした。その小説が素晴らしい作品だったことは間違いないと思うのです。でも、それ以上に、先生が息子さんを思うその深い親心が、言葉の壁をも突き通したのだと感じました。


一日に何回あるか分らないおむつ替え、一生懸命作ってもなかなかうまくいかない離乳食、たそがれ泣きの中での夕飯作り、毎日のように繰り返される夜泣き・・・・、炎天下や木枯らしの中で延々と続く外遊び、・・・・大変だといいながらも一生懸命毎日子育てしてる親ってほんとにすごいなと思うのです。
無償の愛・・・ですよね。          

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